愛媛県東温市
浮嶋神社様


御守り、御朱印プロジェクト

浮嶋神社様とは

古代日本史の
ロマンが眠る由緒ある古社 

平安時代の国史・日本三大実録にもその名が記され、年間を通して様々な神事が執り行われる由緒ある古社。境内には、古代祭祀様式の一つである磐座(いわくら)を始め、長慶天皇の御陵とされる浮嶋陵、物部氏の太祖・宇麻志麻治命(うましまじのみこと)降誕伝説など、古代日本史を彩る遺跡が数多く残されている。また、祈雨祭に用いられてきた三神御面は東温市の有形文化財に指定されており、12月の御面渡御祭の日に拝観することができる。

※いよ観ネットより転記
※画像は、夜の拝殿。

由緒・歴史

ウマシアシカビヒコヂの磐座  伊邪那岐、伊邪那美の磐座もあります。
浮嶋神と三島神をお祀りしている。日本三代実録の貞観9年(867)2月5日の条に「伊予国正六位上浮嶋神に従五位下を授く」とあり国史に見える神社、国史現在社である。浮嶋神は、弥生文化時代からの御祭神で、社地「王座」は物部氏の太祖宇麻志麻治命の降誕の浄地といい、崇神天皇の頃に天津社に列せられたと伝えられている。
 伊予の豪族越智益躬は時運変遷により大三島神を合祀して氏神と仰ぎ、以後、越智息利、河野通清、白石三郎家員、牛渕太郎孝房等と名門の崇敬厚く、累世神殿の改築や神田の奉納等があった。保延5年(1140)には崇徳院の院宣によって道音寺、香積寺、西光寺、明照寺の4別当が置かれた。
 吉野朝になって得能氏が館を設けて尊崇し、満良親王、懐良親王より奉幣があり、文中年中(1372~1375)には長慶天皇(寛覚理成法皇)が武運長久の祈願を執り行わせている。長慶天皇は当地の王座屋敷に滞在され、この地で亡くなられたといわれその御陵が残っている。また、長禄年中(1457~1460)には、河野宮忠義王が2年の間王座屋敷に滞在され当社を尊崇された。
 天正14年(1587)長曽我部元親が当国に乱入の時、兵火にかかり社殿や旧記を焼失したが、慶長年中(1596~1615)に加藤嘉明が社殿を再建して三島大明神と称え、菖蒲祭の古式を復旧した。その後、代々の松山藩主は菖蒲祭を引継ぎ、藩の祈願所として尊崇した。
 当社には、河野家から伝わる三神御面があり、代官は藩主の命を受けて三神御面に対して祈雨祭をしばしば執り行った。霊験あらたかで瑞雨を得ることしばしばあり、本殿や社殿の改築、鳥居、築山等の寄進が行われた。寛文年間(1661~1673)神主相原宗俊が、南梅本にあった三島宮を野田に奉遷して新に社家を興した際、三神御面を持参したのがもとで御面争議が起こり、寺社奉行の裁定により  牛渕・野田両社の隔年鎮座となった(御面渡御祭)。
 明治2年(1869)に浮嶋神社と旧号に復し、明治3年郷社に列せられ、明治14年県社に昇格する。  明治40年には神饌幣帛料供進することを得べき神社に指定され、愛媛県知事の参向供進を受けた。
 当社の本殿庭には、磐座(いわくら)という三つの大きな自然石が配置されている。神社の社殿建築が行われる以前の古代祭祀様式の一種で、神様の御降臨を仰いでお祭りするための依代であり御神座である。当社では、中央に可美葦牙彦舅尊、左右に伊弉諾尊・伊弉冉尊をお祭りしてきたと伝えられている。
 雨乞いに御神威を現されてきた三体の御面は、専門家からは鎌倉と室町時代に作成されたものと見られ、能面の前の時代の田楽や猿楽の面とされ、美術工芸的にも大変優れたものである。平成16年に「雨乞い三面」として東温市の有形文化財に指定される。御面は、御面渡御祭の日に一般に拝観を行っている。
 当社の秋祭りには、練り行事が執り行われる。お練りは神輿渡御に付き従う行列で、250年以上前から行われている。猿女の君に導かれ、笛太鼓の調べと伴に相撲力士による大和働きの所作や槍奴による毛槍投げなど、175名と馬1頭で繰り広げられる。平成9年に東温市の無形民俗文化財に指定される。

浮嶋神社様 
御守り、御朱印
プロジェクト
2026年

◆御守り3種

安藤姸雪先生復刻文字 
 片野貴夫先生より学んだ龍体文字ベース

御守りの特徴

小葵文様とは

小葵(こあおい)文様は、平安時代から伝わる伝統的な有職文様(ゆうそくもんよう)で、皇族の装束などに用いられた高貴な文様です。その意味は、植物の**銭葵(ぜにあおい)または冬葵(ふゆあおい)**の花と葉をかたどったもので、「高貴」や「威厳」を表すとされています。

【内容】

・青:つるむく    龍体文字4文字の構成  仕事運、昌売繁盛

・緑:フトマニ図48 伊邪那岐、伊邪那美Ver 開運:縁結び含む

・桃:ありがとう   龍体文字5文字の構成  神恩・報恩感謝 

 各限定100体:金箔 箔押し

◆御守り4種

※森美智代先生ベースの龍体文字

御守りの特徴

雲立涌文様とは

立涌文様は、並列する2本の線の中央がふくらみ、両端が細くなった形を雲気(水蒸気)が立ち上がる状態に見立てた文様のことです。 そこから、運気上昇の意味が込められ、縁起の良い文様とされています。

【内容】

・藍:きに ふ    龍体文字3文字の構成  健康運

・黄:く       龍体文字1文字の構成  金運

・白:フトマニ図24 天照大御神編集Ver   開運:安産

・朱:えて      吉縁(人様とのご縁)  願望成就

  各 限定30体:金箔 箔押し

◆特別・御朱印2種

特徴
各サイズ B5横サイズ 御朱印帖 見開き約2ページ

 ヘンプ=麻を使った紙に浮嶋神社様の御朱印

【内容】

・フトマニ図48 伊邪那岐、伊邪那美Ver

  限定:100:金箔 箔押し

  ※近日イメージ画像公開します。

・フトマニ図24 天照大御神編集Ver →画像を

  限定30:金箔 箔押し

 

期限

令和7年11月20日(土)15:33~12月25日(木)18:59まで

神代文字、龍体文字について

龍体文字とは

日本には神代文字といって中国から漢字が伝わる以前、神話に出てくる神様の時代に使われたとされる文字は、2000種以上存在しているそうです。 

1976年秋天振り日、宮座主の小島末喜氏と歴史学者の坂本弘氏が訪れ「昭和天皇より伊勢神宮で保管されていた古代文字を公開するお許しが出たので修繕をお願いしたい」との依頼があったそうです。そして1977年11月1日発行となったのが「伊勢神宮の古代文字」です。 

※画像 伊勢神宮の古代文字

 その時の昭和天皇のメッセージは「この神代文字を表に出したのは、世界の人々に日本の文化の一つとして発表していただきたい。きっとその実践は世界平和に役立つことであろう」ということ。もっとも古い神代文字と言われております。

 実際、安藤姸雪先生が復刻については世間で言われている数と相違があり、54種と言われています。

 例えば「カタカムナ文字」推定5500年前、「ホツマ文字」3300年前の文献『ホツマツタエ』、

そして、龍体文字は約6500年前、ウマシアシカビノヒコヂという、この神様は「古事記」に登場する神様で、万物の生命力を神格化させたといわれています。

4番目に現れた神様。

※神代の時代:上古12代目になります。 古文献=古史古伝で異なります。

もともと龍体文字は、書道家の安藤妍雪先生が独自のルートで復刻された神代文字です。

 ※画像は、浮嶋神社様ご本殿

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